私はTwitterとinsragramとfacebookやってます。
全部本名で、誰にでも見られていいことと、知り合いにしか見られないようにしていることとその時そのときで分けて使っているつもりです。
自分が楽しかったことと、感動したことはみんなに伝えてもいいなって思っているので、わりとオープンにしています。
私は自分の顔が出ても別になんとも思わないし、友だちの写真に自分が写っていたら、タグづけ(その写真に写っているのが私だとわかってもらうサイン?)してほしいです。
でも、誰でもそう思っているわけではなくて、知らない人には見られたくないとか、知ってる人には見られたくないとか思っている人もいるので、写真をアップするときは一緒にいた人には一応許可をとるようにしてます。
嫌な思いはしたことないけど、嫌な思いをさせてしまったことがあったので、それから注意しています。
色んな許容範囲は人それぞれなので、注意したいです。
まぁ、そんな感じで写真に関しては何も問題ないのですが、私が最近腹が立つのは、
「感動したらシェアしてね」みたいな長文です。
別に見なきゃいいんだけど。
そして全文読むにはなぜかアカウント認証させなきゃいけないっていうシステムで、結構やってる人が多くてうんざりしちゃう。
だから全文は読まないけど、タイムラインには流れてくるので最初の1行読んだだけでだいたい結末もわかる。
「父がガンになった」「恋人が交通事故にあった」「動物が虐待されている」
ここらへん。
本当にあった話だとしても、命を軽々しく観ているような気がしてならない。
家族や親友や恋人やペットが、死んだら悲しいのは当たり前でしょう?
なんでわざわざ美談にするの?
似たような感動話読んで、毎回泣いてるのかしら。
最近は「毛皮ができるまで」の動画をシェアしてる人もいたなぁ。
毛皮ができるってことは、動物が死んでる、そんなの当たり前。
私たちが必要とする限り動物は犠牲になる。
だから、毛皮を買わないって決めたって、何が変わるの?
「私は殺される動物がかわいそうだから毛皮は買わない(私は真実を知っているから、毛皮を買ってる人とは違うの)」
そうかしら?
毛皮だけじゃなくて、革靴だって、牛を殺しているんだよ。
だいたい、毎日殺された動物食べてるんじゃないの?
鶏肉も豚肉も牛肉も魚も、全部命なのに、なんで毛皮だけ特別扱いするの?
贅沢品だから?生きるために必要ないから?
じゃあグリーンランド人はアザラシ殺して毛皮のコート着てるけど、悪人なの?
要は、命を大事にするってことは、命を捧げて私たちの生活を豊かにしてくれた動物に感謝して、ものを大事に使えばいいんじゃないかってこと。
お肉も魚も、いただきますって言って食べれば良いと思う。
人が死んで、悲しいのは当たり前。その人がいい人だったのもわかってる。
それでいいじゃないか。

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