2014/06/24

北欧

なんか書きたくなったので2連発。

ここ数ヶ月ちゃんと毎週観てる番組は「Youは何しに日本へ?」だけなんだけど、昨日は特に面白くて良かった。
前から密着していたデンマーク人の青年2人組の指差し旅ファイナル。
この2人がいかにもデンマークの若者って感じで適当で、かわいくて、いい人だった。
彼らの最後の言葉に少し涙が出たよ。

なぜなら私がデンマークで過ごした半年と同じ感想だったから。
彼らは「日本人はとても親切だった。文化は全く違うけど、同じ人間なんだと感じた」みたいなことを言っていて、それはまさしく私がデンマークで感じたことだったのだ。

デンマークは高校を卒業してからすぐに大学にいきません。
私が留学したフォルケホイスコーレという国民学校に行ったり、自分が何をしたいか自由に考える旅に出ます。
ホイスコーレは全寮制で学費無料(生活費は実費)で、半年行く人もいれば、3年行く人もいます。

北欧の教育に関しては見習うべき部分がたくさんあります。
でもまるっきり真似はできません。
日本は人口が多いし、税金も少ない。

まあ、そんな感じにたまに北欧賛美してしまう私ですが、北欧が全て良いとはもちろん思ってないし、悪いデンマーク人だっていると思います。
警察もあるし。実際にはそんなパラダイスじゃないですよ。寒いし。
大好きな国ということには変わりないけど。

今別に進めてる課題があるのですが、そちらではミシェル・ゴンドリーに再注目して考察してます。
改めて、ミシェル・ゴンドリーは天才だなぁと感じてます。
(なんてバカっぽい発言w)

一番好きな映像は『Around The World』

ご存知のとおり、私は音楽に詳しくないし、絶対音感もないし、太鼓の達人も死ぬ程下手なので、映像は作れても、ミシェル・ゴンドリーのような発想はできません。
でもせめてあの世界観だけでも近づきたい!と今改めて思っています。

すごい漠然とだけどこれからの夢は、ミシェル・ゴンドリーのようなワークショップをしたい、です。
なんじゃそりゃー
って感じだけど、なんというか私のセンスでかわいい世界観を子どもたちと作りたいなーと思っています。
いつか北欧で学んだことと今の自分のセンスをミックスした教室を作りたいです。

平和主義

久々に論文(?)
レポートです。

その前に、28歳になりました!
今年もたくさんの人がお祝いメッセージをくれて、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。

今回は「憲法」です。
政治はよくわからないし、どうせ何も変わらないから選挙に行かないって人もいると思います。
でも、それは選挙権を放棄して政治に参加しないということだから、これから日本がどんなに生きにくい政策をしても文句を言う権利はないということ。
私はそれはどうなの、と思うし、今の子どもたちに期待してるし、日本人が生き残ってほしいので選挙はこれからもちゃんと行こうと思ってます。
できるだけ、自分の意見を持って。

とは言ってもやっぱり政治のことも憲法のこともよくわかりません。
一応レポートを書くにあたって調べたり、教科書を読んだりもしたけど、まだまだ不足してます。

最初は「プライバシーの侵害」について書こうと思っていたのですが、全然やる気でなくて、テーマをがらりとかえて「平和主義」について書きました。
歴史はまあまあ好きだし、得意だったので勉強してて楽しかったです。
でもいざ判例とか調べ出すとやはり辛かったです…

憲法第9条について 平和主義と自衛隊のあり方

 憲法第9条はどのような時代背景から生まれ、どのような意図で制定されたのか。そして自衛隊がどのような位置づけにあるかを考察していく。
 日本国憲法第9条(条文)
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 まずは、第9条が制定された時代背景を探る。1900年前後世界中に帝国主義思想が広まった。日本は東アジア諸国に領土を広げるため、1894年日清戦争、1904年日露戦争に勝利した。1905年日朝協定を結び、1910年朝鮮は併合された。1914年第一次世界大戦が勃発し、日本は連合国の一員として参戦、勝利した。その際敗戦国ドイツから満州の利権を求めた。1931年日本は満州の線路爆破を口実に日中戦争を開始し、1932年満州国を建国。清国最後の皇帝溥儀を皇帝とし、実質的支配権を掌握した。1937年盧溝橋事件により、全面的な日中戦争へ突入した。同年12月、日本軍は南京大虐殺を行ったとされる。1939年9月枢軸国(日本、ドイツ、イタリア)と連合国軍による第二次世界大戦が始まった。1941年12月日本は連合国軍のアメリカに対し、宣戦布告した。大戦初期、ドイツ軍はヨーロッパ侵略、日本軍は東南アジア、西太平洋諸国への侵略を進めていた。しかし日本軍の真珠湾奇襲以降、アメリカ軍が日本の占領国を次々と奪還していった。1945年5月沖縄が占領され、日本の主要都市は次々に空爆されていった。ドイツは連合国に降伏した。同年8月6日アメリカ軍は原爆を広島に、9日長崎に投下した。8月14日、日本はポツダム宣言を受諾、連合国軍に無条件降伏し、8月15日天皇による玉音放送がされ、第二次世界大戦は終結した。この大戦による日本の兵士、民間人の犠牲者は約25万人にものぼった(台湾、沖縄、朝鮮を除く)。沖縄戦では上陸してきたアメリカ軍に対し、女子供までが戦地で戦うこととなった。日本の平和主義は、この大戦による多くの犠牲者と、帝国主義時代に日本によって侵略された国々の犠牲の上に築かれている。条文から、国民は戦争を起こすような政府を作らないことを強く誓い、武力に頼ること無い安全と、国民の公正と信義に信頼し、平和を維持する、ということが日本国憲法における日本の平和主義への誓いと理念として考えられる。また、平和主義は日本だけでなく、世界の人々が武力による脅威にさらされることのない平和な世界で生存していく権利があると示している。

 条文の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあるが、この場合の「戦力」に自衛隊は含まれているのだろうか。まず、自衛隊の成立から述べる。敗戦後の日本は、GHQによって憲法改正が押し進められた。平和主義もその中の一つである。個人的な見解としては、この平和主義、戦争放棄はどの先進国の憲法のなかでも最も良い法律だと思う。世界唯一の被爆国である日本が戦争を放棄するということは、当然のことのようで、しかし他の先進国の情勢を見ている限りでは難しいことのようにも思えるからだ。戦後の憲法改正によって国民は、それまで妄信していた大日本帝国軍が消え、軍備を持たない国になったことにさぞかし不安だっただろう。そこで1950年警察予備隊が発足した。1954年警察予備隊は名前を変え自衛隊となった。自衛隊に関する訴訟事件として立川市の「砂川事件」がある。1957年7月8日早朝、東京調達局がアメリカ軍の使用する立川飛行場内民有地の測量を開始した際、千余名のデモ隊の集団が気勢をあげ、滑走路北端付近の境界柵を数10メートルにわたって破壊した。被告人等はこの集団に参加していたが、正当な理由がないのに境界柵の破壊された箇所から飛行場内に立ち入ったとして日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(改定前)第3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法違反として起訴された。当時は今より左翼の力が強く、日米安保条約に反対するデモがあちこちで行われていた。この事件の争点は、器物損害だが、第一審の東京地裁が安保条約を「違憲」と判断した判決を下したことに大きな話題を呼んだ。その後、最高裁でこの判決は否定されている。安保体制と憲法体制が矛盾したことにより、政治的に重要な裁判となった。米軍は立川基地から横田基地(東京都福生市)に移転することが決まり、1977年11月30日、立川基地は日本に全面返還された。徹底した平和主義にある日本では条文にもあるように軍備を持たない。自衛隊は外的からの攻撃を受けた場合に専守防衛をする組織であり、国内の大規模災害に対する組織的援助組織である。2011年3月11日の東日本大震災以降連日ニュースで自衛隊の活動が報道されていた。テレビで見ることしか出来ない私は、自衛隊の存在は改めて必要だと感じていた。集団的自衛権の行使を認めた場合、他国の紛争に日本の自衛隊を派遣するということは自国の安全が絶対的に保たれていなければならない。戦争だけでなく大震災のように突然前触れもなく起こる災害に素早く対応するためにも、自衛隊の存在は必要であると考える。

参考URL wikipedia/日本国憲法第九条
    wikipedia/砂川事件


2014/06/06

おばかさん

1ヶ月放置するところだった!

やばい。

別に超忙しい、とかいうわけではなかったんだけど。
地味にやることが多くて放置してしました。

最近は現実逃避に工作ばっかりしてます。
Pintarestで造形教室に使えそうなネタを探して作ってます。

小学生のころは工作より絵が得意だったけど、工作も楽しい!

私は昔から目玉のあるキャラが好きで、工作でも100円均一に売ってる動く目玉をつけたとたんものすごくかわいく見えてしまいます。
だから私の工作にはだいたい目玉がついてます。笑

近頃は仕事なのに癒されに行ってる感じです。
子どもたちがかわいい。
あ〜明日またあの子たちに会える、と思うとわくわくします。
そして運動会とか、風邪とかでお休みする子がいると、「会いたかったのに!」って本当に残念に思います。

大学卒業して、造形教室でバイト初めてもう5年経ちます。
途中、留学したから抜けてたけど、最初に見てた当時の幼稚園生は今小学5年生になりました。
辞めた行った子がほとんどですが、まだ通ってくれている子もいます。

成長したな〜って思うのは背が高くなったこと、その子たちの弟妹が入ってきたことくらいで、根本的には変わっていない感じがして、そこがまた可愛らしいです。

でもきっと中学生になって教室を卒業して、高校生くらいになって街であったりしても素っ気なくされそう。笑
特に男の子は。

まぁなんというか、それもすごく良いよね。

私は良い意味でバカな子が大好きで、好きになる男もバカが多くて、まわりに心配される系なのですが、どうしてもバカが好きです。
自分がバカだからかな…

このままじゃいけないと思いつつ、ずっと今の状態が続くように願っている気がします。

2014/05/07

生きるパワー

GWに、新潟に行ってきました。

新潟に行くのは10年以上ぶり。前回の新潟の記憶はほとんどありません。

目的は、梅佳代展と未来ちゃん展を観ること。
未来ちゃんは佐渡島の子なので、新潟に帰ってきたってことです。
梅佳代は能登出身なので、ちょっと近くにいるってことです。

展示のアートディレクションが、祖父江慎だったので、これはやっぱ見に行くしか無い!と思い、遠い道のりを頑張って交代しながら運転しました。


1日目は新潟県立万代島美術館の梅佳代展に行きました。
私は『じいちゃんさま』というシリーズが大好きで、観るとなぜか涙がじーんと溜まってきます。
うちのおじいちゃんと重なるんだと思う。
このじいちゃんさまも2012年におばあちゃんとお別れして、そのお葬式の様子とか、梅佳代の妹が結婚して子どもを産んで、ひ孫を可愛がる様子とか、すごく重なる。
おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に住んでる家庭って今では少ないけど、私が小学生のときはクラスの半分くらいはおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでいる子が多かった。田舎だから家が大きいからだと思うけど。

当時はお母さんが仕事に行ってて、平日おばあちゃんしかいない家に帰るのが嫌だったけど、この歳になって思うのは、一緒に住んでて良かったな、ということ。
老人に対する接し方が上手いと良く言われる。
お年寄りにやたら優しい人とか、逆に見下してる人をよく見るけど、同じ人として接することが出来ているというか、自然に。
私の家族はおじいちゃんのおかげで怒りの沸点が高いと思う。
毎日わけのわからないことを言ってるけど、ちゃんと話を聞いてるから。
(半分聞き流すのもコツ)

梅佳代の写真を観てると、そんな様子もよくわかる。

そして天才的なシャッターチャンスの捉え方。
これは本当にすごい。会場で思わず声を出して笑ってしまうような。

図録のデザインも祖父江慎ですごいかっこいいです。



2日目は新潟市新津美術館の未来ちゃん展へ。
こどもの日とうことで親子もたくさんいました。
子どもが観ても楽しい写真だと思う。

こどもの日で植物園が入場無料だったのでそちらも観ました。
やはり食虫植物にはそそられます…

未来ちゃんはひたすらかわいい。
そして佐渡島の自然とともに成長する未来ちゃんのまっすぐな姿は、本当に感動してしまう。
こちらも目に涙を浮かべながら観ていました。笑

田舎の良さをすごく伝えてくれる。
未来ちゃんもおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでいて(多分)、その生活の様子がどこかすごく懐かしい。

2つとも生きるパワーを感じる大好きな写真。
新潟で観れて良かったです。

美術館に他にも、市街地にも行って、港で海鮮を食べたり、日本海沿岸をず〜っと走って長野経由で帰りました。


今回も道のりは長かったけど、またひとつ、好きな町が増えました。

2014/04/28

美術鑑賞

ムサビ通信、東洋美術史は第1課題に超苦労して、第2課題に未だに手を付けられず、しかももし合格できたとしても科目試験が死ぬ程難しいという噂を聞いてへっぴり腰になっていました。

今年度から「美術の歴史と鑑賞」という科目が増設され、それが美術史の必修単位として使えることになったので、履修して、さっそくレポートを出したらすんなりA判定をいただいて、ほっと胸をなでおろしました。

ということで、久々のレポートです。

このレポートに取り組んでるうちはモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールが頭から離れなかったです…

18世紀における西洋と日本の美人画』

 18世紀、日本は江戸時代で、中国から伝来した画法を極めつつ、独自の画派が誕生した。中でも大衆向けに描かれた浮世絵は、江戸の文化を象徴する画派のひとつである。一方、西洋では王権が強まり、華やかな宮廷文化の時代が終わり、芸術の中心地フランスではバロック芸術から富裕層に向けて描かれた柔かな印象のロココ芸術が流行した。ほぼ同時期に、西洋絵画と日本の浮世絵の主題として多く描かれたのが、女性の肖像である。以下、2つの絵画様式の代表作である菱川師宣作『見返り美人図』とモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール作『ポンパドゥール夫人の肖像』を鑑賞対象とし、考察、比較する。

 まず、1693年頃に描かれたとされる菱川師宣作『見返り美人図』(東京国立博物館蔵)から考察していく。この作品が生まれた江戸時代は、封建制度が最も完成されたとされる。町人階級が多くおり、大衆文化が発達した。菱川師宣は、当時京大阪で流行していた小説や浄瑠璃の木版技術を使い、遊里吉原を舞台とした歓楽の風俗版画を創始した。それまで絵本の挿絵で敷かなかった浮世絵を独立した1枚絵にし、鑑賞に堪え得る絵画作品にした。師宣は男女の姿態を柔らかい描線で書き出し、人気絵師となった。中でも、浮世絵の代表的な主題である美人画において師宣は人気を博した。浮世絵の美人画は、官許の遊郭、吉原などの遊里にいる女性、遊女や芸者を描いたもの、町の評判娘を描いたもの、理想の美人などが描かれた。それらの顔はどれも一様に似ていることから、当時の江戸の人々がどのような女性が好みだったのかがよくわかる。さらに、この絵の女性は、17世紀末期当時の流行であった女帯の結び方「吉弥結び(きちやむすび)」と、紅色の地に菊と桜の刺繍を施した着物を身に着けている。それらを美しく見せる演出法として、歩みの途中で後方に視線を送る姿で描かれたものと考えられる。このように、浮世絵は当時の風俗を知る上で重要な資料でもある。浮世絵は大衆のための絵画で、木版による大量生産で作られていた。絵師が下絵を描き、彫師が下絵をもとに版を彫り、摺師が版を紙に摺る、といった分業制をとっていた。一方肉筆画は、富裕層からの依頼で人気絵師が1点ずつ描いたものである。『見返り美人図』は肉筆画である。

 次に1752~55年頃に描かれたとされるモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール作『ポンパドゥール夫人の肖像』(ルーブル美術館蔵)を考察する。1725年、太陽王ルイ14世の崩御により、壮大で古典文化の伝統に汲んだ主題を表現したバロック様式の建築、絵画、彫刻は、衰退していくこととなった。ルイ14世に代わり幼少のルイ15世が新国王となり、芸術の解放の時代が始まった。軽妙洒落さ、自由奔放さ、親しみやすい日常性、感覚性をもつロココ芸術の始まりである。装飾品はバロック芸術の荘厳とした面持ちとは違い、複雑精妙な曲線からなり、ロカイユ(貝殻、小石を表す形容詞)と呼ばれた。ロココ絵画は創始者アントワーヌ・ヴァトーの『キュテラ島の巡礼』を筆頭に、戸外での男女の恋の戯れを表したフェート・ギャラント(雅な宴)が流行した。『ポンパドゥール夫人の肖像』は、この流行を汲みながら描かれた優雅な肖像画である。モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールはこの肖像画において完璧なパステルの技法を駆使し、才色兼備のポンパドゥール夫人を描いた。この時代の肖像画の特徴は、以下の2点である。一つは、一瞬の動きを与える微笑を好んで表現すること。二つ目は、貴婦人を神話の女神のように見立てて描くことである。芝居や扮装に対するロココ的な好みの表れであると同時に、ギリシャ神話という西洋文明の恒常的要素への暗示によって伝統の結びつきをはかろうとしていた。

 次に、以上の2作品を比較していく。この2作品の共通点は最初に述べた通り、当時の美人を描いたことである。同時代にほぼ交流のなかった西と東の遠い国で、同じ主題が好んで描かれたのはとても興味深いことである。そして肖像画という絵画は富裕層へ向けて描かれていたということだ。相違点は、その描き方である。日本の浮世絵『見返り美人図』は背景が地の色で他はなにも描かれていない。女性は何も持たず、その美しい着物の模様が画面の見所である。しかしながら当時の江戸の流行がよくわかるシンプルで無駄の無い画面である。ロココ絵画『ポンパドゥール夫人の肖像』は貴婦人らしく、装飾されたイスに座り、楽譜のようなものを手に持っている。当時の富裕層の優雅な暮らしが肖像画で想像できる。夫人が着ているドレスは浮世絵同様、当時の流行を表すものであろう。胸にあしらわれたリボン、少しだけ見えるハイヒールなどは当時の流行の最先端であった。ルイ15世の公妾であったポンパドゥール夫人がいかに洗練された人物であったかを示すドレスである。浮世絵とは異なり背景は部屋の様子も描かれているが、夫人が際立つよう暗いブルーで描かれている。浮世絵は岩絵の具で描かれ、平面的な塗りで、陰影は描かれていない。一方ルネサンスを経たロココ絵画は人間、物に立体感をつけた油彩画である。日本において立体的な西洋絵画風の作品が現れるのは鎖国の解かれた明治時代以降である。






2014/04/21

戦争

私の興味のあるもの。

最近は戦争。

特に第二次世界大戦のヨーロッパと日本、そしてベトナム戦争に興味があります。
去年はひたすらベトナム戦争について調べてたけど、最近は第二次世界大戦のことを調べてます。
この歳にしてやっといろいろ繋がったし、言葉の意味もわかりました。
やっぱ映画が一番わかりやすいですね。

第二次世界大戦中の日本の様子は漫画を読みました。
辛い。本当に読んでて辛い。
私は戦争関連の物語に感動は必要ないと思っています。
戦争を美化しているように思えるから。
どんな感動があっても、戦争を美化するのはナンセンスだと思う。
それはアメリカが得意なんだけど。
最近では『永遠の0』がそれ関係で少し話題になりましたね。
戦争を使ったただの恋愛小説なのではないかと。
私は読んでないし、映画も見てないので何とも言えませんが。

真実のみを知りたいです。
戦争絡みの恋愛ものとか、奇跡の生還系は興味ないです。



この漫画を図書館で借りて読みました。
すごく良かった。
戦時中に生き残った漫画家たちが自分の目線で体験を漫画にしている。
それらはノンフィクションもあるけど、体験をもとにしたフィクションなので妙に生々しい。
戦争漫画や映画や小説をみて、今まで共感したことなんて一度も無かったけど、日本の漫画家が描く戦争は共感してしまう。
あの時代に生まれていなかったら、きっと私たちと同じだったに違いない。
時代せいで失われた幸福や、可能性は二度と帰ってこないんだと思いました。
もし自分があの時代に生まれて、絵を描きたかったり、絵を教えたりしたくても、100%叶ってはいなかっただろうと思います。
長野県上田市に「無言館」という志半ばで戦死した画家たちの絵を集めた美術館があります。今年中には行こうと思っています。


ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』を観ました。

観る前に、『映像の世紀 ヒトラーの野望』を観ました。
淡々としているドキュメンタリーなので感情を無にして観ていると、なんだかヒトラーは悪者じゃない気がしてたのですが、『戦場のピアニスト』を観て、ドイツのしたことは本当に許されるべきではない、とはっきり感じました。

今となっては昔のことなのでホロコーストに関してドイツを責めるなんてことはしませんが、ポーランド人はこの真実を今でも飲み込めるのでしょうか。

ドイツ人が悪いのではなく、戦争が悪い、もうこれは誰を責めることもできません。

優越感を持ってしまうと人間は人間をどのようにでも扱えてしまうのですね。

漫画と映画の中で共通に描かれているのは空腹。
私は今までの戦争関連のメディアで空腹がこれまで辛いことかということを感じたことはありませんでした。
特に映画の主人公はピアノが弾きたい、家族に会いたいという願いよりも後半は常に食べ物を探しています。


映画の中でショックだったシーンが2つあったのですが、そのシーンを思い出すと辛くて辛くて動きが止まってしまいます。

映画に入り込みすぎて生活に支障が出るのなんて10年以上ぶりです。笑
(『ダンサー・イン・ザ・ダーク』以来)

ホロコーストなんて、現代で考えたら本当にあり得ない思想です。
こんな酷い経験がありながら、なんで世界では未だに戦争をしているのか。
理解できません。

2014/04/07

新しい日々

タイトルに意味は無く。笑
私は昨年度と何も変わる予定はないです。

春休みは部屋の模様替えをしました。
作業用の机を増やしました。
机が一つ増えたにもかかわらず、ベッドの位置が変わっただけでなぜか部屋が広く感じる…
すごいなぁ。

消費税が上がる前に静岡で買い物をしました。
やっと春コートを買いました。
リバーシブル。使えそう。

かわいいギャラリーを知り、さっそく見に行って、オーナーさんとお話をして、今年個展ができたらいいなぁと計画中。
ただ、作品が伴わないので、テーマを決めて描いて行こうかなーなんて思ってます。

今年は海外旅行はしない予定なので、日本を旅できたらいいな。
あ!良い登山靴を手に入れたので、山に登りたいです。
まずは近場の沼津アルプスへ…

春になって、少しずつ暖かくなってきました。
夜の森には車の前を横切る野生の動物が増えてきました。

ちょっと前には黄色い毛のイタチに遭遇。
昨日は大量の子鹿たちがそこらじゅうに。

私は自然と動物が大好きだったんだな〜実は。

自分ちの猫だけじゃなくて、森の中の動物もかわいい。