2014/12/17

Married

今日入籍しました。

なんで、今日かというといえば、特に何の記念日でもないのですが。笑
大安だったからです。
あと、お互いの母親の誕生日が12月16日と18日なのでその間ととって、的な感じです。

私たちは来年の12月17日に何かお祝いとかするかといえば、しなそうです。
普通の1日になりそう。

今日も実際に、婚姻届を出したけど、普通の平日なので普通の1日でした。

私は部屋のカーテンの足りない裾を継ぎ足して、せっかくミシンを出したから、と思いスカート1枚とスタイを3枚作りました。

最近料理も楽しいし、掃除もきちっとしてるし、手芸ももともと好きだし、私の天職は主婦なんじゃないかと思えてきた。笑
お弁当作って送り出して、夕方夕飯作って待ってて(先に食べるときが多いけど)、ゆたんぽで布団暖めて、こんな満たされた新婚生活がいつまで続くのか…

これから絶対いろんなことあると思うけどひとつひとつ二人で乗り越えて行かなきゃなぁ。

まぁ、ケンカもするだろうけど、死ぬまで一緒にいたいと思います。
結婚が決まる前まで自分の家族と違うお墓に入るのなんて絶対嫌だと思っていたのに、結婚が決まってからどんどん信頼していった感じ。

今は同じお墓に入りたいです。

旦那さんの家族とはまだ何度もあったわけではないけど、良い人たちでよかった。

旦那さんは友人の中ではわりと変人扱いされているけど、私はそこが好きだし、意外とまじめだと思う。
基本的な考えはまともなので、きっと両親がしっかりしていると思っていました。
変というか不思議な部分は、お父さんに似たんだなってのも今はなんとなくわかった。笑

とにかく、これから何十年も一緒に暮らしていきます。
今日旦那さんにも言ったけど、これからもよろしくね。とう気持ちになりました。

2014/11/30

お部屋完成

12月を明日に控え、ついに我が家のリビングと寝室が片付きました。

長かった…
服と靴が多すぎて、収納が少ないので工夫が必要です。

でもリビングだけは物を極力置きたくなかったので大変でした。

 テレビが無いのでソファーの向きは意味が無いです。

行き場を無くしたぬいぐるみたちはエアコンの上にぎゅうぎゅうに詰められてます。笑

これでやっと友だちを呼べる!
でも遠いから誰が来てくれるんだろう…

2014/11/05

引っ越し

すごく久しぶりになってしまった…

10月は1回も更新できなかったです。
忙しかったわけではなく、体調がすこぶる悪くてダメでした。
レポートも1つもできなかったし、お出かけも全然できませんでした。

11月の1~3日の連休で、引っ越しました。
実家を離れるのは4年ぶり。

新しい家は、けっこう気に入ってます。
ただ、まだぐちゃぐちゃです。
3DKなので、1部屋私の部屋になるのですが、今は彼の服が占領していて足の踏み場がありません。
小さな古着屋より服があると思います。
引っ越しを手伝ってくれた人に「こっそり売りにいった方がいい」と言われまくったのですが、やっぱり何年も下手すりゃ何十年もかけて集めたものを簡単に売ることは出来ないと思ってます。
私も服が好きで、お店みたいにずらっと並んでる様子を眺めるのが好きです。
はやく整うと良いです。

他にも色々集めていて、ぬいぐるみとか、人形とか、FireKingとか、やたらものが溢れています。
平日は彼は仕事なので、私がちょこちょこ片付けていきます。

なんだかんだで12月までかかりそうだな〜

がんばろう。

2014/09/17

なんとー

なんだ、まだ17日か…
なんか最近時間がたつのが遅い。それでいいんです。
ゆっくり進んでおくれ。

なんと、なんと、結婚することになりました。

ご報告ってのはそのことです。

親族にはもちろん、仕事関係の方達にはもう報告済みです。

来月か再来月には引っ越します。
週末しか彼と会えないので、せこせこ物件探してます。
でも天気が良いとどうしても朝霧の方へドライブしてしまいます。
日曜日は、いつも通り過ぎるだけの本栖湖に行きました。
でも寒すぎて10分くらいしか車からおりませんでした。

まだ籍入れる日とか決めてません。

名字は変わったらまた報告します。
これからもよろしくね。
(誰が見てる知らないけど←お決まり)

2014/09/07

1週間

この1週間、いろんなコトがありずぎて、逆に時間の流れがゆっくりと感じられました。

先週のいまごろは、しんちゃんと沼津港に行ったり、沼津をぶらぶらしながら楽しんでいました。

これから、ご報告することがたくさんありますので、承知しててください。笑
(誰が見てるのか知らないけど)

2014/08/15

チゼックスクール

お久しぶりの日記です。

8月前半の台風前にスクーリングに行ってました。
毎回とても勉強になって、そして同じクラスの人たちが大好きになって帰ってきます。
必修のスクーリングはこれで最後でした。あとは卒業制作のみ。

来週は美術教育法と教育方法っていう教職のスクーリングがあります。

美術教育法は、事前課題で論文を持参しなければならず、今それに取り組んでいます。
「チゼックスクール」と現在の日本の美術教育を比較するという課題です。

「チゼックスクール」とは、この教科書を開くまで聞いたこともなかったのですが、日本で言うと明治時代にフランツチゼックという美術家が始めた児童造形教室のことです。
そこでの理念が、私が今働いている造形教室と同じだったり、違ったりしてとても面白いです。

いつかは自分で造形教室を開いてみたいと思っているので、チゼックの友人ヴィオラによる『子どもの美術』のなかの305項に及ぶ美術教育問答はとても参考になりました。
私は2つの造形教室で働いていて、同じ地域で同じ時期に始まった教室にも関わらず、特徴が全然違います。
基本的に子どもの質というか、性質?はあまり変わらない気もします。
でも、たまにこの子は本当はこっちの教室のが合っているんじゃないかな〜なんてのも思います。
私の心の中で思っているだけなので、他の先生たちにはあまり言っていないのですが。
どちらの教室も大好きだし、先生たちも面白くて良い人だし、通っている子どもたちはもれなく全員可愛いから、どちらの教室が良いとか悪いとかは決して言えません。

でも、少子化に伴い教室に通う子どもは必然的に減ります。こちらは仕事としてやっているのでどうしても生徒は確保しておきたいものですが、ある先生は「若い人がどんどん教室を増やしていっても良いと思う」と言います。
子どもたちが教室を選べるくらいあれば、その子にとって確実にプラスになる教室を自分でさがすことが出来るからです。

私がやりたいのは、わりとチゼックスクールに近くて、今働いている2つの教室の良いとこ取りをしたような教室です。
2つの教室が30年以上続いているのはそのスタイルをずっと貫き通してきたからであって、私が良いとこ取りしたところで矛盾がおこってくるとは思うのですが、そこは臨機応変に対応するしかないんだろうな〜と思います。
こんな妄想をどんどん膨らましているだけで、独立にはまだまだ修行が足りないと思い、勉強中です。

この歳になって教員免許を取ろうと通信大学に編入したことに、最初はお金の無駄遣いになったらどうしようなんて心配していたけど、それに見合う知識を得ているような気がします。
でも毎日暑くて勉強する気力がなかなか出ないのですが、なんとか頑張らなきゃいけないと思いつつ、夜中に2ちゃんとか見て夜更かししてしまうお盆休みです。

2014/07/28

ごちゃごちゃ!

え!もう7月も今週で終わりではないか!

毎日忙しいのですが…
仕事ばかりではなく、なんというか、用事がぎゅうぎゅうで、誘いを断ったりもしてるという過酷な状況。
週末はだいたい家にいない。もう静岡にいないという。

友だちのおうちに遊びに行ったり、キャンプに行ったり、結婚式に行ったり、スクーリングにいったりしてました。







そして家には大好きな姪のサワちゃんが来ているのです。


もう毎日フル回転なんだけど。
もれなく全部楽しいし、嫌なことは一つもないので文句の言いようが無いんだけど強いて言うならお金かかってるよね。
もうね、移動するのってお金かかるよね。

そして毎日暑くて暑くて。
ジムかよって代謝が良くなったからすごい汗がダラダラ出てきて1日に3回シャワーあびるときもあるよ。

たまちゃんも相変わらず可愛いです。


髪の毛をショートからかりあげて少年のようになってますが、これは理想の髪型に地下ずくタメの布石…知的な女に見えるようになりたい願望があるもんで。
あと3ヶ月後くらいがたのしみでやんな。

2014/06/24

北欧

なんか書きたくなったので2連発。

ここ数ヶ月ちゃんと毎週観てる番組は「Youは何しに日本へ?」だけなんだけど、昨日は特に面白くて良かった。
前から密着していたデンマーク人の青年2人組の指差し旅ファイナル。
この2人がいかにもデンマークの若者って感じで適当で、かわいくて、いい人だった。
彼らの最後の言葉に少し涙が出たよ。

なぜなら私がデンマークで過ごした半年と同じ感想だったから。
彼らは「日本人はとても親切だった。文化は全く違うけど、同じ人間なんだと感じた」みたいなことを言っていて、それはまさしく私がデンマークで感じたことだったのだ。

デンマークは高校を卒業してからすぐに大学にいきません。
私が留学したフォルケホイスコーレという国民学校に行ったり、自分が何をしたいか自由に考える旅に出ます。
ホイスコーレは全寮制で学費無料(生活費は実費)で、半年行く人もいれば、3年行く人もいます。

北欧の教育に関しては見習うべき部分がたくさんあります。
でもまるっきり真似はできません。
日本は人口が多いし、税金も少ない。

まあ、そんな感じにたまに北欧賛美してしまう私ですが、北欧が全て良いとはもちろん思ってないし、悪いデンマーク人だっていると思います。
警察もあるし。実際にはそんなパラダイスじゃないですよ。寒いし。
大好きな国ということには変わりないけど。

今別に進めてる課題があるのですが、そちらではミシェル・ゴンドリーに再注目して考察してます。
改めて、ミシェル・ゴンドリーは天才だなぁと感じてます。
(なんてバカっぽい発言w)

一番好きな映像は『Around The World』

ご存知のとおり、私は音楽に詳しくないし、絶対音感もないし、太鼓の達人も死ぬ程下手なので、映像は作れても、ミシェル・ゴンドリーのような発想はできません。
でもせめてあの世界観だけでも近づきたい!と今改めて思っています。

すごい漠然とだけどこれからの夢は、ミシェル・ゴンドリーのようなワークショップをしたい、です。
なんじゃそりゃー
って感じだけど、なんというか私のセンスでかわいい世界観を子どもたちと作りたいなーと思っています。
いつか北欧で学んだことと今の自分のセンスをミックスした教室を作りたいです。

平和主義

久々に論文(?)
レポートです。

その前に、28歳になりました!
今年もたくさんの人がお祝いメッセージをくれて、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。

今回は「憲法」です。
政治はよくわからないし、どうせ何も変わらないから選挙に行かないって人もいると思います。
でも、それは選挙権を放棄して政治に参加しないということだから、これから日本がどんなに生きにくい政策をしても文句を言う権利はないということ。
私はそれはどうなの、と思うし、今の子どもたちに期待してるし、日本人が生き残ってほしいので選挙はこれからもちゃんと行こうと思ってます。
できるだけ、自分の意見を持って。

とは言ってもやっぱり政治のことも憲法のこともよくわかりません。
一応レポートを書くにあたって調べたり、教科書を読んだりもしたけど、まだまだ不足してます。

最初は「プライバシーの侵害」について書こうと思っていたのですが、全然やる気でなくて、テーマをがらりとかえて「平和主義」について書きました。
歴史はまあまあ好きだし、得意だったので勉強してて楽しかったです。
でもいざ判例とか調べ出すとやはり辛かったです…

憲法第9条について 平和主義と自衛隊のあり方

 憲法第9条はどのような時代背景から生まれ、どのような意図で制定されたのか。そして自衛隊がどのような位置づけにあるかを考察していく。
 日本国憲法第9条(条文)
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 まずは、第9条が制定された時代背景を探る。1900年前後世界中に帝国主義思想が広まった。日本は東アジア諸国に領土を広げるため、1894年日清戦争、1904年日露戦争に勝利した。1905年日朝協定を結び、1910年朝鮮は併合された。1914年第一次世界大戦が勃発し、日本は連合国の一員として参戦、勝利した。その際敗戦国ドイツから満州の利権を求めた。1931年日本は満州の線路爆破を口実に日中戦争を開始し、1932年満州国を建国。清国最後の皇帝溥儀を皇帝とし、実質的支配権を掌握した。1937年盧溝橋事件により、全面的な日中戦争へ突入した。同年12月、日本軍は南京大虐殺を行ったとされる。1939年9月枢軸国(日本、ドイツ、イタリア)と連合国軍による第二次世界大戦が始まった。1941年12月日本は連合国軍のアメリカに対し、宣戦布告した。大戦初期、ドイツ軍はヨーロッパ侵略、日本軍は東南アジア、西太平洋諸国への侵略を進めていた。しかし日本軍の真珠湾奇襲以降、アメリカ軍が日本の占領国を次々と奪還していった。1945年5月沖縄が占領され、日本の主要都市は次々に空爆されていった。ドイツは連合国に降伏した。同年8月6日アメリカ軍は原爆を広島に、9日長崎に投下した。8月14日、日本はポツダム宣言を受諾、連合国軍に無条件降伏し、8月15日天皇による玉音放送がされ、第二次世界大戦は終結した。この大戦による日本の兵士、民間人の犠牲者は約25万人にものぼった(台湾、沖縄、朝鮮を除く)。沖縄戦では上陸してきたアメリカ軍に対し、女子供までが戦地で戦うこととなった。日本の平和主義は、この大戦による多くの犠牲者と、帝国主義時代に日本によって侵略された国々の犠牲の上に築かれている。条文から、国民は戦争を起こすような政府を作らないことを強く誓い、武力に頼ること無い安全と、国民の公正と信義に信頼し、平和を維持する、ということが日本国憲法における日本の平和主義への誓いと理念として考えられる。また、平和主義は日本だけでなく、世界の人々が武力による脅威にさらされることのない平和な世界で生存していく権利があると示している。

 条文の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあるが、この場合の「戦力」に自衛隊は含まれているのだろうか。まず、自衛隊の成立から述べる。敗戦後の日本は、GHQによって憲法改正が押し進められた。平和主義もその中の一つである。個人的な見解としては、この平和主義、戦争放棄はどの先進国の憲法のなかでも最も良い法律だと思う。世界唯一の被爆国である日本が戦争を放棄するということは、当然のことのようで、しかし他の先進国の情勢を見ている限りでは難しいことのようにも思えるからだ。戦後の憲法改正によって国民は、それまで妄信していた大日本帝国軍が消え、軍備を持たない国になったことにさぞかし不安だっただろう。そこで1950年警察予備隊が発足した。1954年警察予備隊は名前を変え自衛隊となった。自衛隊に関する訴訟事件として立川市の「砂川事件」がある。1957年7月8日早朝、東京調達局がアメリカ軍の使用する立川飛行場内民有地の測量を開始した際、千余名のデモ隊の集団が気勢をあげ、滑走路北端付近の境界柵を数10メートルにわたって破壊した。被告人等はこの集団に参加していたが、正当な理由がないのに境界柵の破壊された箇所から飛行場内に立ち入ったとして日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(改定前)第3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法違反として起訴された。当時は今より左翼の力が強く、日米安保条約に反対するデモがあちこちで行われていた。この事件の争点は、器物損害だが、第一審の東京地裁が安保条約を「違憲」と判断した判決を下したことに大きな話題を呼んだ。その後、最高裁でこの判決は否定されている。安保体制と憲法体制が矛盾したことにより、政治的に重要な裁判となった。米軍は立川基地から横田基地(東京都福生市)に移転することが決まり、1977年11月30日、立川基地は日本に全面返還された。徹底した平和主義にある日本では条文にもあるように軍備を持たない。自衛隊は外的からの攻撃を受けた場合に専守防衛をする組織であり、国内の大規模災害に対する組織的援助組織である。2011年3月11日の東日本大震災以降連日ニュースで自衛隊の活動が報道されていた。テレビで見ることしか出来ない私は、自衛隊の存在は改めて必要だと感じていた。集団的自衛権の行使を認めた場合、他国の紛争に日本の自衛隊を派遣するということは自国の安全が絶対的に保たれていなければならない。戦争だけでなく大震災のように突然前触れもなく起こる災害に素早く対応するためにも、自衛隊の存在は必要であると考える。

参考URL wikipedia/日本国憲法第九条
    wikipedia/砂川事件


2014/06/06

おばかさん

1ヶ月放置するところだった!

やばい。

別に超忙しい、とかいうわけではなかったんだけど。
地味にやることが多くて放置してしました。

最近は現実逃避に工作ばっかりしてます。
Pintarestで造形教室に使えそうなネタを探して作ってます。

小学生のころは工作より絵が得意だったけど、工作も楽しい!

私は昔から目玉のあるキャラが好きで、工作でも100円均一に売ってる動く目玉をつけたとたんものすごくかわいく見えてしまいます。
だから私の工作にはだいたい目玉がついてます。笑

近頃は仕事なのに癒されに行ってる感じです。
子どもたちがかわいい。
あ〜明日またあの子たちに会える、と思うとわくわくします。
そして運動会とか、風邪とかでお休みする子がいると、「会いたかったのに!」って本当に残念に思います。

大学卒業して、造形教室でバイト初めてもう5年経ちます。
途中、留学したから抜けてたけど、最初に見てた当時の幼稚園生は今小学5年生になりました。
辞めた行った子がほとんどですが、まだ通ってくれている子もいます。

成長したな〜って思うのは背が高くなったこと、その子たちの弟妹が入ってきたことくらいで、根本的には変わっていない感じがして、そこがまた可愛らしいです。

でもきっと中学生になって教室を卒業して、高校生くらいになって街であったりしても素っ気なくされそう。笑
特に男の子は。

まぁなんというか、それもすごく良いよね。

私は良い意味でバカな子が大好きで、好きになる男もバカが多くて、まわりに心配される系なのですが、どうしてもバカが好きです。
自分がバカだからかな…

このままじゃいけないと思いつつ、ずっと今の状態が続くように願っている気がします。

2014/05/07

生きるパワー

GWに、新潟に行ってきました。

新潟に行くのは10年以上ぶり。前回の新潟の記憶はほとんどありません。

目的は、梅佳代展と未来ちゃん展を観ること。
未来ちゃんは佐渡島の子なので、新潟に帰ってきたってことです。
梅佳代は能登出身なので、ちょっと近くにいるってことです。

展示のアートディレクションが、祖父江慎だったので、これはやっぱ見に行くしか無い!と思い、遠い道のりを頑張って交代しながら運転しました。


1日目は新潟県立万代島美術館の梅佳代展に行きました。
私は『じいちゃんさま』というシリーズが大好きで、観るとなぜか涙がじーんと溜まってきます。
うちのおじいちゃんと重なるんだと思う。
このじいちゃんさまも2012年におばあちゃんとお別れして、そのお葬式の様子とか、梅佳代の妹が結婚して子どもを産んで、ひ孫を可愛がる様子とか、すごく重なる。
おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に住んでる家庭って今では少ないけど、私が小学生のときはクラスの半分くらいはおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでいる子が多かった。田舎だから家が大きいからだと思うけど。

当時はお母さんが仕事に行ってて、平日おばあちゃんしかいない家に帰るのが嫌だったけど、この歳になって思うのは、一緒に住んでて良かったな、ということ。
老人に対する接し方が上手いと良く言われる。
お年寄りにやたら優しい人とか、逆に見下してる人をよく見るけど、同じ人として接することが出来ているというか、自然に。
私の家族はおじいちゃんのおかげで怒りの沸点が高いと思う。
毎日わけのわからないことを言ってるけど、ちゃんと話を聞いてるから。
(半分聞き流すのもコツ)

梅佳代の写真を観てると、そんな様子もよくわかる。

そして天才的なシャッターチャンスの捉え方。
これは本当にすごい。会場で思わず声を出して笑ってしまうような。

図録のデザインも祖父江慎ですごいかっこいいです。



2日目は新潟市新津美術館の未来ちゃん展へ。
こどもの日とうことで親子もたくさんいました。
子どもが観ても楽しい写真だと思う。

こどもの日で植物園が入場無料だったのでそちらも観ました。
やはり食虫植物にはそそられます…

未来ちゃんはひたすらかわいい。
そして佐渡島の自然とともに成長する未来ちゃんのまっすぐな姿は、本当に感動してしまう。
こちらも目に涙を浮かべながら観ていました。笑

田舎の良さをすごく伝えてくれる。
未来ちゃんもおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでいて(多分)、その生活の様子がどこかすごく懐かしい。

2つとも生きるパワーを感じる大好きな写真。
新潟で観れて良かったです。

美術館に他にも、市街地にも行って、港で海鮮を食べたり、日本海沿岸をず〜っと走って長野経由で帰りました。


今回も道のりは長かったけど、またひとつ、好きな町が増えました。

2014/04/28

美術鑑賞

ムサビ通信、東洋美術史は第1課題に超苦労して、第2課題に未だに手を付けられず、しかももし合格できたとしても科目試験が死ぬ程難しいという噂を聞いてへっぴり腰になっていました。

今年度から「美術の歴史と鑑賞」という科目が増設され、それが美術史の必修単位として使えることになったので、履修して、さっそくレポートを出したらすんなりA判定をいただいて、ほっと胸をなでおろしました。

ということで、久々のレポートです。

このレポートに取り組んでるうちはモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールが頭から離れなかったです…

18世紀における西洋と日本の美人画』

 18世紀、日本は江戸時代で、中国から伝来した画法を極めつつ、独自の画派が誕生した。中でも大衆向けに描かれた浮世絵は、江戸の文化を象徴する画派のひとつである。一方、西洋では王権が強まり、華やかな宮廷文化の時代が終わり、芸術の中心地フランスではバロック芸術から富裕層に向けて描かれた柔かな印象のロココ芸術が流行した。ほぼ同時期に、西洋絵画と日本の浮世絵の主題として多く描かれたのが、女性の肖像である。以下、2つの絵画様式の代表作である菱川師宣作『見返り美人図』とモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール作『ポンパドゥール夫人の肖像』を鑑賞対象とし、考察、比較する。

 まず、1693年頃に描かれたとされる菱川師宣作『見返り美人図』(東京国立博物館蔵)から考察していく。この作品が生まれた江戸時代は、封建制度が最も完成されたとされる。町人階級が多くおり、大衆文化が発達した。菱川師宣は、当時京大阪で流行していた小説や浄瑠璃の木版技術を使い、遊里吉原を舞台とした歓楽の風俗版画を創始した。それまで絵本の挿絵で敷かなかった浮世絵を独立した1枚絵にし、鑑賞に堪え得る絵画作品にした。師宣は男女の姿態を柔らかい描線で書き出し、人気絵師となった。中でも、浮世絵の代表的な主題である美人画において師宣は人気を博した。浮世絵の美人画は、官許の遊郭、吉原などの遊里にいる女性、遊女や芸者を描いたもの、町の評判娘を描いたもの、理想の美人などが描かれた。それらの顔はどれも一様に似ていることから、当時の江戸の人々がどのような女性が好みだったのかがよくわかる。さらに、この絵の女性は、17世紀末期当時の流行であった女帯の結び方「吉弥結び(きちやむすび)」と、紅色の地に菊と桜の刺繍を施した着物を身に着けている。それらを美しく見せる演出法として、歩みの途中で後方に視線を送る姿で描かれたものと考えられる。このように、浮世絵は当時の風俗を知る上で重要な資料でもある。浮世絵は大衆のための絵画で、木版による大量生産で作られていた。絵師が下絵を描き、彫師が下絵をもとに版を彫り、摺師が版を紙に摺る、といった分業制をとっていた。一方肉筆画は、富裕層からの依頼で人気絵師が1点ずつ描いたものである。『見返り美人図』は肉筆画である。

 次に1752~55年頃に描かれたとされるモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール作『ポンパドゥール夫人の肖像』(ルーブル美術館蔵)を考察する。1725年、太陽王ルイ14世の崩御により、壮大で古典文化の伝統に汲んだ主題を表現したバロック様式の建築、絵画、彫刻は、衰退していくこととなった。ルイ14世に代わり幼少のルイ15世が新国王となり、芸術の解放の時代が始まった。軽妙洒落さ、自由奔放さ、親しみやすい日常性、感覚性をもつロココ芸術の始まりである。装飾品はバロック芸術の荘厳とした面持ちとは違い、複雑精妙な曲線からなり、ロカイユ(貝殻、小石を表す形容詞)と呼ばれた。ロココ絵画は創始者アントワーヌ・ヴァトーの『キュテラ島の巡礼』を筆頭に、戸外での男女の恋の戯れを表したフェート・ギャラント(雅な宴)が流行した。『ポンパドゥール夫人の肖像』は、この流行を汲みながら描かれた優雅な肖像画である。モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールはこの肖像画において完璧なパステルの技法を駆使し、才色兼備のポンパドゥール夫人を描いた。この時代の肖像画の特徴は、以下の2点である。一つは、一瞬の動きを与える微笑を好んで表現すること。二つ目は、貴婦人を神話の女神のように見立てて描くことである。芝居や扮装に対するロココ的な好みの表れであると同時に、ギリシャ神話という西洋文明の恒常的要素への暗示によって伝統の結びつきをはかろうとしていた。

 次に、以上の2作品を比較していく。この2作品の共通点は最初に述べた通り、当時の美人を描いたことである。同時代にほぼ交流のなかった西と東の遠い国で、同じ主題が好んで描かれたのはとても興味深いことである。そして肖像画という絵画は富裕層へ向けて描かれていたということだ。相違点は、その描き方である。日本の浮世絵『見返り美人図』は背景が地の色で他はなにも描かれていない。女性は何も持たず、その美しい着物の模様が画面の見所である。しかしながら当時の江戸の流行がよくわかるシンプルで無駄の無い画面である。ロココ絵画『ポンパドゥール夫人の肖像』は貴婦人らしく、装飾されたイスに座り、楽譜のようなものを手に持っている。当時の富裕層の優雅な暮らしが肖像画で想像できる。夫人が着ているドレスは浮世絵同様、当時の流行を表すものであろう。胸にあしらわれたリボン、少しだけ見えるハイヒールなどは当時の流行の最先端であった。ルイ15世の公妾であったポンパドゥール夫人がいかに洗練された人物であったかを示すドレスである。浮世絵とは異なり背景は部屋の様子も描かれているが、夫人が際立つよう暗いブルーで描かれている。浮世絵は岩絵の具で描かれ、平面的な塗りで、陰影は描かれていない。一方ルネサンスを経たロココ絵画は人間、物に立体感をつけた油彩画である。日本において立体的な西洋絵画風の作品が現れるのは鎖国の解かれた明治時代以降である。






2014/04/21

戦争

私の興味のあるもの。

最近は戦争。

特に第二次世界大戦のヨーロッパと日本、そしてベトナム戦争に興味があります。
去年はひたすらベトナム戦争について調べてたけど、最近は第二次世界大戦のことを調べてます。
この歳にしてやっといろいろ繋がったし、言葉の意味もわかりました。
やっぱ映画が一番わかりやすいですね。

第二次世界大戦中の日本の様子は漫画を読みました。
辛い。本当に読んでて辛い。
私は戦争関連の物語に感動は必要ないと思っています。
戦争を美化しているように思えるから。
どんな感動があっても、戦争を美化するのはナンセンスだと思う。
それはアメリカが得意なんだけど。
最近では『永遠の0』がそれ関係で少し話題になりましたね。
戦争を使ったただの恋愛小説なのではないかと。
私は読んでないし、映画も見てないので何とも言えませんが。

真実のみを知りたいです。
戦争絡みの恋愛ものとか、奇跡の生還系は興味ないです。



この漫画を図書館で借りて読みました。
すごく良かった。
戦時中に生き残った漫画家たちが自分の目線で体験を漫画にしている。
それらはノンフィクションもあるけど、体験をもとにしたフィクションなので妙に生々しい。
戦争漫画や映画や小説をみて、今まで共感したことなんて一度も無かったけど、日本の漫画家が描く戦争は共感してしまう。
あの時代に生まれていなかったら、きっと私たちと同じだったに違いない。
時代せいで失われた幸福や、可能性は二度と帰ってこないんだと思いました。
もし自分があの時代に生まれて、絵を描きたかったり、絵を教えたりしたくても、100%叶ってはいなかっただろうと思います。
長野県上田市に「無言館」という志半ばで戦死した画家たちの絵を集めた美術館があります。今年中には行こうと思っています。


ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』を観ました。

観る前に、『映像の世紀 ヒトラーの野望』を観ました。
淡々としているドキュメンタリーなので感情を無にして観ていると、なんだかヒトラーは悪者じゃない気がしてたのですが、『戦場のピアニスト』を観て、ドイツのしたことは本当に許されるべきではない、とはっきり感じました。

今となっては昔のことなのでホロコーストに関してドイツを責めるなんてことはしませんが、ポーランド人はこの真実を今でも飲み込めるのでしょうか。

ドイツ人が悪いのではなく、戦争が悪い、もうこれは誰を責めることもできません。

優越感を持ってしまうと人間は人間をどのようにでも扱えてしまうのですね。

漫画と映画の中で共通に描かれているのは空腹。
私は今までの戦争関連のメディアで空腹がこれまで辛いことかということを感じたことはありませんでした。
特に映画の主人公はピアノが弾きたい、家族に会いたいという願いよりも後半は常に食べ物を探しています。


映画の中でショックだったシーンが2つあったのですが、そのシーンを思い出すと辛くて辛くて動きが止まってしまいます。

映画に入り込みすぎて生活に支障が出るのなんて10年以上ぶりです。笑
(『ダンサー・イン・ザ・ダーク』以来)

ホロコーストなんて、現代で考えたら本当にあり得ない思想です。
こんな酷い経験がありながら、なんで世界では未だに戦争をしているのか。
理解できません。

2014/04/07

新しい日々

タイトルに意味は無く。笑
私は昨年度と何も変わる予定はないです。

春休みは部屋の模様替えをしました。
作業用の机を増やしました。
机が一つ増えたにもかかわらず、ベッドの位置が変わっただけでなぜか部屋が広く感じる…
すごいなぁ。

消費税が上がる前に静岡で買い物をしました。
やっと春コートを買いました。
リバーシブル。使えそう。

かわいいギャラリーを知り、さっそく見に行って、オーナーさんとお話をして、今年個展ができたらいいなぁと計画中。
ただ、作品が伴わないので、テーマを決めて描いて行こうかなーなんて思ってます。

今年は海外旅行はしない予定なので、日本を旅できたらいいな。
あ!良い登山靴を手に入れたので、山に登りたいです。
まずは近場の沼津アルプスへ…

春になって、少しずつ暖かくなってきました。
夜の森には車の前を横切る野生の動物が増えてきました。

ちょっと前には黄色い毛のイタチに遭遇。
昨日は大量の子鹿たちがそこらじゅうに。

私は自然と動物が大好きだったんだな〜実は。

自分ちの猫だけじゃなくて、森の中の動物もかわいい。

2014/03/17

ROADMOVIES

HONDAが出している、ROADMOVIESというアプリにハマっています。

先週末は、旅友なおと一緒に福岡&出雲旅行に行ってきました。

福岡には富士山静岡空港から飛行機で行きました。
木曜日は朝から大雨で、静岡空港を出るのが少し遅れたけど、予定より10分遅れただけで福岡空港に着きました。ほっ…

福岡に着いて、なおと福岡に住んでいるミキと合流して、商店街をぶらぶら。
夕飯は、もつ鍋を食べました。
とろける〜もつ〜
モツ大好き。

そのあと温泉へ。気持ちよかった〜

翌日は福岡の港へ行って、ふぐ刺し定食を食べました。
1000円で、ふぐ刺しが食べれるなんて!!めちゃくちゃお得。

その後出雲へ向かいました。

山口経由で行こうと思ったら、去年の夏の豪雨で被害にあった山口線がまだ不通ということで、急遽岡山経由で行くことに。
少し高くつきましたが、山の中を特急列車がすすむ様子がとっても楽しかったです。

電車のなかでなおがROADMOVIESというアプリを教えてくれて、そこから撮影開始。


その日は出雲市駅近くのビジネスホテルに一泊。
翌朝出雲大社へ向かいました。


これでもかというくらい何度もお賽銭を入れてはお願いごとをしました。
なにしろ広ーい出雲大社にはお賽銭箱が色んなところにあって…

縁結びのお守りと絵馬を買って、お願いごとをしました。
彼には開運守りを、職場の独身の上司に縁結び糸を買いました。

結婚式をしている一家がいて、幸せそうでした。出雲大社で結婚式なんて贅沢!

一通りお参りが終わって、周辺を散策しました。
午前は、あまり混んでいなくて、お天気も良くて気持ちよかったです。

お昼は出雲そばを食べました。
信州そばより歯ごたえがあって、そば湯はとろっとしていました。
有名なお店へ行ったので、20分くらい並んだけど、とっても美味しかった。

その後、神様の玄関口、稲佐浜へ。
風が強かったけど、ここも綺麗でした。
海へ向かう道がとっても良かった。

そのあと一畑線に乗って、となりの駅へ。徒歩で島根ワイナリーを訪れました。
無料試飲コーナーで全種類ごくごく飲んでたらなおも私もふわふわに酔って、なにがなんだかわからなくなって、めちゃくちゃで楽しかったです。

帰りは、寝台特急のサンライズ出雲に乗って、沼津へ。なおは東京へ。
それぞれ帰りました。
日本の寝台特急は初めて乗ったけど、綺麗だし、使いやすくて良かったです。
少し寒かったけど。

今回の旅も楽しかった!

昨日も天気が良かったので、ドライブして、撮っちゃいました。

2014/03/06

SNSについて

私はTwitterとinsragramとfacebookやってます。

全部本名で、誰にでも見られていいことと、知り合いにしか見られないようにしていることとその時そのときで分けて使っているつもりです。

自分が楽しかったことと、感動したことはみんなに伝えてもいいなって思っているので、わりとオープンにしています。
私は自分の顔が出ても別になんとも思わないし、友だちの写真に自分が写っていたら、タグづけ(その写真に写っているのが私だとわかってもらうサイン?)してほしいです。
でも、誰でもそう思っているわけではなくて、知らない人には見られたくないとか、知ってる人には見られたくないとか思っている人もいるので、写真をアップするときは一緒にいた人には一応許可をとるようにしてます。

嫌な思いはしたことないけど、嫌な思いをさせてしまったことがあったので、それから注意しています。
色んな許容範囲は人それぞれなので、注意したいです。

まぁ、そんな感じで写真に関しては何も問題ないのですが、私が最近腹が立つのは、
「感動したらシェアしてね」みたいな長文です。

別に見なきゃいいんだけど。
そして全文読むにはなぜかアカウント認証させなきゃいけないっていうシステムで、結構やってる人が多くてうんざりしちゃう。
だから全文は読まないけど、タイムラインには流れてくるので最初の1行読んだだけでだいたい結末もわかる。

「父がガンになった」「恋人が交通事故にあった」「動物が虐待されている」

ここらへん。

本当にあった話だとしても、命を軽々しく観ているような気がしてならない。

家族や親友や恋人やペットが、死んだら悲しいのは当たり前でしょう?

なんでわざわざ美談にするの?

似たような感動話読んで、毎回泣いてるのかしら。

最近は「毛皮ができるまで」の動画をシェアしてる人もいたなぁ。
毛皮ができるってことは、動物が死んでる、そんなの当たり前。
私たちが必要とする限り動物は犠牲になる。

だから、毛皮を買わないって決めたって、何が変わるの?

「私は殺される動物がかわいそうだから毛皮は買わない(私は真実を知っているから、毛皮を買ってる人とは違うの)」

そうかしら?
毛皮だけじゃなくて、革靴だって、牛を殺しているんだよ。
だいたい、毎日殺された動物食べてるんじゃないの?

鶏肉も豚肉も牛肉も魚も、全部命なのに、なんで毛皮だけ特別扱いするの?
贅沢品だから?生きるために必要ないから?
じゃあグリーンランド人はアザラシ殺して毛皮のコート着てるけど、悪人なの?

要は、命を大事にするってことは、命を捧げて私たちの生活を豊かにしてくれた動物に感謝して、ものを大事に使えばいいんじゃないかってこと。
お肉も魚も、いただきますって言って食べれば良いと思う。

人が死んで、悲しいのは当たり前。その人がいい人だったのもわかってる。
それでいいじゃないか。



2014/02/26

感受性

今年度の通信課題を全部出し終わって、あとは合否を待つだけ…
合格していますように…

ここ最近、涙腺がゆるい。
歳とったなぁ。笑

ソチオリンピックの閉会式を観てなぜか泣き、もちろん真央ちゃんのフリーの演技でも泣き、小説を読んで泣き、今日は写真展を観て泣きました。

感受性が豊かなのは良いことだと自分に言い聞かせている。

その感動を一人で味わっているのは、いいことなのか。
説明しても共感されることが無くて少し寂しい。

密かに通信の卒業制作のテーマを決めつつあります。

いのちについて。

これに尽きる。でも、私には重すぎて、私なんかがこんなテーマにしたら、自己満足で終わってしまう気がする。

それでいいのかもしれないけど。

家族、故郷、動物…

くさくならない、自分らしい表現で、いのちを伝えられたらどんなに素敵なことだろうと思う。

おととい、田舎の道を走っていたら、鹿を轢きそうになった。
間一髪、避けたけど。
鹿ももっと注意してほしいわ!
道の真ん中をうろちょろしてたら轢かれちゃうよ!
あなたたちの命を奪いたくないよ、絶対トラウマになるし。

幸せとか、なんとか、

考えてる暇があるだけ、幸せだよね。


2014/02/14

メディアの発達による五輪商業化について

急にまじめにオリンピックの話。
授業で提出したレポートです。

ソチオリンピック開催中ですね!
マスメディアは、若い選手に過度のプレッシャーを与えないでほしいです。

ちなみに私が一番好きだったオリンピックは夏は北京(2008)、冬は長野(1998)です!
北京では北島康介のギラギラした感じが超かっこよかったのと、なんといっても日本初の男子400mリレーでの銅メダルです。リレーっていうのは本当に最後の最後の大目玉種目。世界最速の戦いにチームワーク、バトン技術も必要だからです。
ボルトの世界記録と、ジャマイカのぶっちぎり1位もすごく良かった。
ああいう、化け物級の選手がいないと盛り上がらないよね。
私も昔リレー選手だったのでよくわかる。比べ物にならないくらい小さな戦いでしたが。
長野のときは小学生だったけど、やっぱ日本でやってたっていうのと、ジャンプ団体の金メダルが印象的でした。感動。

スポーツは良いです。

「メディアの発達による五輪商業化について」 

 201398日、世界的一大イベントである夏季オリンピック(以下、五輪)が、54年ぶりに東京で開催されることが決まった。その後決定の瞬間の映像が繰り返し報道されている。東京で五輪が開催されるということがなぜそんなにも注目されるのだろうか。そこにはたくさんの意味があるだろうが、ここでは「メディア」との大きな関わりがあることを取り上げたい。五輪はメディアの発達とともに変わっていった。では、どのように変わったのか、メディアの歴史とともに考察していく。

 まず日本国内においてメディアとスポーツはどのように関わり、発達してきたのだろうか。1915年から大阪朝日新聞社が主催する甲子園野球が始まり、その様子はもちろん新聞によって民衆に伝えられた。その成功を機に、1924年からライバル社である大阪毎日新聞社が春の選抜高校野球大会を開催した。これらはマスメディアが作り出したメディア・イベントの成功例である。その後新しいメディアが登場するたびに普及のためのイベントとしてスポーツ大会が開催された。1925年から開始されたラジオ放送は1928年の昭和天皇即位を機に、全国中継システムを確立し、ラジオ体操の放送を開始した。これは今日まで続く日本人にとってなじみ深いスポーツイベントの一つである。新聞に引き続き甲子園、大相撲の中継も開始し、ラジオ放送は大人気となった。1953年からテレビの本放送が開始する。まだテレビが高価で手に入りにくい時代は「街頭テレビ」のプロレス中継が大流行した。1959年の皇太子ご成婚ブーム、そして1964年の東京オリンピックによってテレビの国内普及率は90%を越えた。そしてこの頃カラーテレビの普及も広まった。1980年代からは衛星放送が始まり、日本のテレビは多チャンネル化し、2011年にアナログ放送からデジタル放送へ移行した。NHK,BSの契約者数は五輪開催ごとに飛躍的に伸びるという結果が出ている。このように、スポーツはメディアの発達、普及には欠かせない存在になっている。なぜここまでスポーツが関係するかといえば、テレビ放送開始時は当然のことながら番組の制作能力は不十分であり、ソフトが足りない状態であった。その中でスポーツはニュース性、ドラマ性、オリジナリティーといったテレビソフトに必要な条件がそろっているからだ。さらに年齢や性別を問わず楽しめるのも利点である。1964年の東京五輪では大会史上初めてスローモーション映像が取り入れられ、競技場でも目撃できない感動的なシーンをテレビで見ることができるようになったのである。
 東京五輪以降の70年代、スポーツをめぐる商業化によって、五輪もまた大きな転換期を迎えた。東京五輪は大成功をおさめ、その後の五輪は大型化した。しかしそれに伴う運営費の増加は開催国にとって大きな負担となり、五輪の存続自体が危ぶまれていた。国際オリンピック委員会(IOC)は二つの選択を余儀なくさされた。大会規模の縮小か、スポンサーシップという民間資本の導入である。IOCは後者を選択した。それにより五輪の商業化が決定し、その後初の大会となったのが1984年のロサンゼルス五輪である。IOCは協賛企業を一業種一社と決め、その企業にはロゴマークの使用やオリジナルグッツの販売を許可した。五輪の価値を高めたこの作戦は、企業が各メディアによって宣伝効果を得ることができた。最終的には、合衆国、ロサンゼルス州は税金を1セントも使わずとも2億ドル以上の黒字を生み出した。この大会から五輪はさらに拡大し、国際的な行事となっていった。オリンピックは存続したが、1996年のアトランタオリンピックでは新たな問題が起きた。アメリカのゴールデンタイムに合わせてマイケル・ジョンソンを映すために陸上のプログラムが2日前に変更されたのである。これはオリンピックが商業化したことによるメディア利用で、視聴率確保のための利益だけを考えた結果起こった事態であった。オリンピック選手ともなれば、当然出場時に合わせてコンディションを整えて来たに違いないのに、運営側が直前にメディアを優先したのである。このような問題は五輪開催中だけに起こることではない。有料テレビ放送局によるスポーツの放映権の略奪戦はあまり知られていないところで常に起きているのだ。
 スポーツとメディアは切り離すことのできない関係になっているが、ただ純粋に感動の共有を与えていたメディアが、商業目的になればなるほど、根本にあったスポーツの感動をなくしてしまう可能性も出てきたのだ。さらにメディアは発達し、現在では中継放送画面に手を加えてしまうことも可能になった。これは一方では臨場性が高まり、一体感が生まれる効果を生み出す可能性もあるが、一方では商業化のためにさらに利用されかねないのである。というのも、スタジアムに設置された看板広告を中継放送中に別の看板広告に差し替えることも可能になったからだ。現実と非現実を曖昧にすることで臨場性は失われてしまうのではないだろうか。7年後の東京オリンピックでは新たなメディアが日常的に使われているかもしれない。日々進化するメディアをさらに発展させるために使われた便利なソフトであるスポーツだが、純粋に楽しむことを忘れてはならない。

参考文献 広瀬一郎著 『メディアスポーツ』

 
広瀬一郎氏は、前回の静岡県知事選に出馬していて、ぜひ県知事になってほしかったのですが、川勝知事になりました。

2014/02/10

雪は楽しいです。
思えば、私は温暖な場所で生まれた割に、雪降る町に縁があります。

高校は御殿場だったし、大学は橋本で、留学先はデンマーク、そしてまた御殿場に通勤しているという。

母校の多摩美ではちょうど入試で、受験生は相当大変だったと思います。
多摩美付近は毎年1日は大雪降ってたしなぁ。
楽しかったけど…

私の車はスタッドレスのタイヤを履いているので、雪道も行けます。
昨日は甲府に行ってきました。
凄かった…

富士宮から甲府に行くときは精進湖を越えていくのですが、その峠越えが大変なのです。

行きは轍が出来てて、ハンドル操作しなくても方向転換しちゃう、っていうわけのわからない便利さがおもしろかったです。

しかーし

帰り道、トラックが横転したとかで精進湖の道が封鎖され、高速も通行止めで甲府に閉じ込められるかと思ったけど、乗用車で、スタッドレスなら通れるとのことで、なんとか帰れました。

雪は楽しいけど、なめちゃあかんね。

2014/02/06

fortune

年々ブログを書く回数が減っている…

最近は良いことがあったり、悪いことがあったり、ぐねぐねしてます。

悪いことは、プリンター壊れたし、iPhoneのカメラが起動しなくなりました。
あと人生の岐路に立たせれてます。
「あなた次第」なんて言われて、どうすればいいかわかりません。
今までどれだけ他人に頼って生きてきたか、身にしみて感じます。
あ〜ぁ、ほんとどうしよう。

このまま悩んでいても時間だけが過ぎていく。いつまでも若くない。
というか、もう若くないんだろうな。視点にもよるけど。

良いことは、学校の生徒がかわいいことと、造形教室の生徒がかわいいことです。
まぁこれは通常なんだけどね。
あと姪っ子もかわいいです。猫もかわいいです。相変わらず。

春休みに、友だちと福岡&出雲に旅行することになりました。
超楽しみ〜寝台特急〜

ということで、私、旅行となるとおしゃれしたくなるんだけど、春用のコートが欲しいです。
かわいいコート探し中。
去年も探してたんだけど、古着屋でGジャン買ってそればかり着てたからコートを買い損ねたのです。

黄色か緑か青の綺麗な色のやつがいいなぁ。ピンクもちょっと気になる…

うーん、やっぱりこの価値観と性格だとこのままダラダラ30歳になってしまいそうだなぁ。
本当に「わたし次第」なのか。
誰かに聞いても助かるような問題じゃないんだよね。
自分で決めなきゃ。やだやだ。

2014/01/27

シャリちゃん

職場で飼っていた猫のシャリちゃんが金曜の朝に亡くなりました。
享年8歳。

うちのたまちゃんと同い年ですが、シャリちゃんは猫エイズと猫白血病のキャリアで、2〜3年前くらいに発症してここ最近は口内炎のためよだれで口がベトベトで毛づくろいもできないようで、毛がぼさぼさで見るからにヨレヨレな状態だったのですが、食欲もあって愛嬌をふりまいていたので、突然の訃報にショックでした。

土曜日の夕方に庭に埋葬し、お葬式をしました。

いつも可愛がっていたかわいいシャリちゃんが土に埋まる姿を見ると、堪えていた涙があふれました。

教室に通っている子どもたちもシャリちゃんに最後のお別れをしました。

シャリちゃんは子どもが好きではないので児童部のときはあまり姿を見せないのですが、たまに間違えて(?)教室に入ってきては、子どもたちにおもちゃにされていました。笑

そんなシャリちゃんが亡くなり、その亡骸を見た子どもたちは、泣くわけでも笑うわけでもなく、ただ無言でじっと見ていました。
冷たく固くなっている感触を忘れないでほしいと思います。
動物はいつか死ぬんだってことが、子どものうちにわかっているのといないのでは、今後の人生ちょっと違うんじゃないかなと思います。

学校でもそのためにウサギとか鶏とか飼うわけだし。

さようならシャリちゃん…

2014/01/04

New Year

2014年が始まりました〜

お正月は慣れないものをたくさん食べるので便秘になります。
そして今は胃が痛い。

年越しは、温泉行って、諏訪大社行って、そのまま寝ないでまかいの牧場で初日の出見たらクタクタで、元日はほとんど1日中寝てたなぁ。
もったいない。

今年はなんと言っても通信をちゃんとすすめなきゃってことです。
諏訪大社で学業成就のお守り買ったし。

そしてそして、姪が生まれました。

かわいいな〜

姉妹間では、私がこんなに赤ちゃんを可愛がると思っていなかったらしいです。
失礼な話だ。
私は子どもが大好きなのに。

今年は、自分の恋愛の方もちゃんとしたいです。
なんか去年はいろいろダメだったな、、、

初日の出は彼の友だちも一緒に行ったんだけど、ダメだったな〜
楽しい時もあったけど、なんか放置されてる時間が多くてさびしかった。
私の気持ちを感じ取ってはいたらしくあとでフォローしてくれたけどその場で考えてほしかったな。

新年早々ついてないな〜なんて思ったお正月でした。

人との付き合い方を考えよう!