2013/07/26

教師論レポート!

今週は月曜日からずっと東京にいます。
夏期スクーリングの「彫塑」の授業で人物頭部の石膏直づけをやってます。
毎日くたくた…

そんな私に嬉しい評価。
教師論、第2課題もAでした!

前回のレポートはベテラン教師のインタビューをまとめたもので、個人情報だらけなので載せませんでしたが、今回は大丈夫なので載せます。

レポートを載せるとけっこう見てくれる人がいるようです。
ちょっと嬉しい…

教育の勉強してると私もなるほど〜と思うことが何度もあるので、何かのお役に立てればと。

「生徒の個性と美術教員の役割について」 塩川友紀

 私たちは生活の中で「個性」という言葉を頻繁に耳にする。美術教育については尚更である。では、教育の中での「個性」はどのような意味を持つのだろうか。明治から昭和に生きた国語学者、折口信夫の言葉を引用する。「教育とは『個性を持って個性を征服すること』いわば、『個性の戦争』である」「教師の個性が、生徒の個性を引き延ばす」「教育者は、生徒の個性を尊重するという名のもとに、実は自分の個性に自身がないのではないか。教育者は影響の強さを競うくらいになるべき」(注1)この3つの文を読むと、教育現場の視点からの「個性」が浮かび上がる。教師が生徒の個性を伸ばすには、教師が個性的になるべきである、と折口信夫は述べている。では具体的に美術教員は何を実行するべきなのか。以下、生徒の「個性」を引き出すために教員がするべきことを、実体験や現在実践されている事例を踏まえて考察していく。

 イタリアのレッジョ・エミリア市は30年程前から行政が芸術を通した幼児教育を行っている世界でも数少ない街である。加え、その教育方法は日本をはじめとする世界各国の教育モデルとして注目されている。レッジョ・エミリア市では教育の最高の目的を「子供のうちに自分の人生をよく形づくっていく能力を鍛えること」「必要な手段と知性と自覚を持って実践させることで養われるもの」(注2)としている。「自覚」とは「自分を知ること」つまり、「個性を知ること」という意味である。レッジョ・エミリア市でも「個性」は重要なものとされている。では、「個性」を引き出すために具体的に何を行っているか。まずは「自由を与える」ことである。子供が調べたり、試したり、間違ったり、訂正する自由を与え、どこで、誰と、好奇心や知性を注ぐのかを自由に選択させる。そして子供は手、視覚、聴覚、材料、形、音や色などの無限の資料へ自分なりの評価を与えることになる。そして理性、思考力、想像力、事物が絶えず関連しており、世界を動かしていると理解するというものである。行政が行っている教育だからこそできる大掛かりなプロジェクトであるが、日本の美術教育に置き換えるとこれらは実現できるのであろうか。私は現在児童造形教室で講師をしているが、それは可能だと思っている。私の関わる造形教室はもともと造形することが好きな児童が集まっているので一概には言えないが、児童たちは選択肢が多い程自由になり、自ら考えているように感じる。レッジョ・エミリア市が行っているように1つの課題に対し、出来るだけ選択肢が多い材料を用意するようにしている。それによって子供たちはそれらの素材をひとつひとつ調べ、試し、失敗し、納得いくものを作ろうとする。もちろん、途中で投げ出してしまう子もいるが、考えた結果だとすればそれは評価に値する。時に低学年の児童が高学年の児童の作品をそっくりに真似することがある。それは単純に憧れからの行為であり、真似をされた児童も悪い気はしないようで、それは上手く成立している。真似をしても全く同じに作ることができないジレンマは、その児童を更に考えさせ、成長させるきっかけとなっている。ここまでは子供たちだけで成長しているように感じるが、同時に教師がするべきことは、時期やリズムを考えてあげることである。「個性」とは子供の成長するスピードも含まれるからである。あまり早尚に設定することなく、しかし貴重な習得の時期は成り行きに任せてはならない。そのためには普段から子供の取り組みを見ていなければならない。ペーパーテストで測れない美術教育ならではの苦悩である。しかし、美術教育でしか味わえない楽しみであるとも言えるだろう。
 ここまではレッジョ・エミリア市の幼児教育、私自身の児童造形教室での経験から「個性」を引き出す方法を考察したが、中学・高校の美術教育ではどうあるべきなのか。まず、児童と生徒の大きな違いは、「個性」の確立の具合である。「個性」が顕著に現れ始めるのは小学校高学年からだと言われている。つまり、中高生はすでに「個性」を持って美術を学ぶことになる。児童向け美術教育から引用できることは、ここでも自由度の高い課題を出すことではないかと思われる。そして、これまで自分が育んで来たセンスを惜しみなく発揮する場として美術の授業があるとすれば、教師はどんな作品であれ、「個性」を引きだすためにまずは誉め、「個性」を認めるべきである。さらに、児童が高学年の児童の真似をしたように、例えば有名な作家の絵画の模写をさせ、「絵を描くことは難しい」と自覚させることも生徒の「個性」を自覚することのきっかけになるであろう。そして最終的には最初に述べた折口信夫の言葉同様、教師が個性的であるべきなのだと思う。何をもって個性的な美術教師なのかは、人それぞれだと思うが、私は外見から個性的でも良いと思っている。そしてもちろん性格や作品からも外見に負けない個性があるべきだ。美術の楽しさ、「個性」の面白さを体現するのもまた、美術教師の役割だと思うからである。

・(注1)新しい国語教育の方針 1925年 折口信夫
・(注2)レッジョ・エミリア市の幼児教育実践記録 子どもたちの100の言葉
2001年 レッジョ・チルドレン 田辺敬子訳


レッジョ・エミリアについては、今働いている造形教室の先生が教えてくださって、そして本とDVDも貸してくれました。
とても興味深いです。
残念ながらもう手に入らない本らしいのですが、図書館などにあるかもしれません。
おすすめです。
でもたまに日本語訳がおかしい感じがしたんだけど、どうなんでしょう。笑

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