2013/07/26

教育心理学 レポート!

教育心理学の第2課題もAでクリアーです!

これで科目試験に挑めます。
それにしてもくたくた。

教育心理学の前回のレポートはBでした。
添削文の通り、いろいろと不足点がわかって、今回はそれを改善しました。
今回はA評価をもらえたけど、細かく言うとまた甘いところがあるみたいです。
レポートって深いわね。

自発的学習を導く指導法提案について」 塩川友紀

 子どもたちが教育機関で学習していく過程で、指導者が「自発的学習」を導くために子ども自身の「やる気」を引き出し、損ねないような指導法を考えなければならない。私が児童造形教室の講師を経て経験した小学生への指導、教育心理学を学び考察したことを踏まえて指導方法を提案する。
 
 指導法提案
・対象者 小学校5年生 30名 
・科目 図工 
・内容 木工/箱を作る
・教材 板、蝶番、ねじ/のこぎり、金槌、彫刻刀、ニス、定規、ボンド
・制作時間 6時間(内訳/設計2時間、組み立て2時間、仕上げ2時間)
・授業形態 男女混合 一人で一つの作品を作る
・評価方法 デザイン、接合箇所、制作過程、問題解決力

1. なぜこのような授業を提案したのか。
 対象学年に小学校5年生を選択した理由は、小学校4年までに知的好奇心によって学習し自身を知り、次の段階である自己実現のために成長しようとする最初の時期だと考えたからである。さらに10~11歳は男女の意識が芽生え、男女間の筋力の差も出てくる年齢なので男女混合のグループ形態にすることで協力、時には反発し、自身の能力の限界を知ることが出来ると考えた。そして普段の学校生活の中から、自分が器用である、不得意であるなどの能力をわかり始めている、と推測されるからである。鎌原・竹綱(1999)によれば、アトキンソン(1964)は、成功に向けてがんばろうとする達成動機の強さが、その人の持つ達成動機の強さと成功できそうかという期待、成功することの自分にとっての価値とによって決まるという期待-価値モデルを提唱した。能力がわかることによって、このモデルを設定しやすいと考えた。
 図工の木工を選択した理由は、桜井・高野(1985)が示した、自ら学ぶ意欲を個人差としてとらえ、子どもの成長発達とどのような関係にあるか検討した研究における、挑戦傾向、独立達成傾向、情報収集傾向の3つが同時に現れると考えたからである。今まで触ることさえ許されなかった刃物や金槌への挑戦、1人で1つのものを作り上げるという独立達成、そして失敗や、初めての経験故の知識不足の場合に必要な情報収集を行う必要が出でくると推測されるからである。また、木工は失敗した場合、すぐにもとに戻せるというわけではないのでうまくいかない場合の欲求不満は適応的な対処行動で解決しなければならない。その場合の問題解決力も評価に入れる。実際に使用できる、手元に残るものを自ら作るということは、物を手に入れるという外的報酬を受け取ることになり、「やる気」を高まらせる要因にもなると推測される。以上のことから、このような授業を提案した。
 
2. どのように教授するのか
 まず、桜井(2001)が提唱する「ある行動を引き起こし、その行動を持続させ、一定の方向に導く」という「自発的学習」のための「動機づけ」の第一段階、「どのような目的」で箱を作るかを考えさせる。自分でやり遂げた達成感を得るためには目的を明確にすることは重要である。例えば人のために作ると決めた場合、その人を喜ばせることが明確な行動の目的になる。目的の無いままただ作業を続けるよりも、よりはっきりとした目的がある方が動機づけは強くなるからだ。
 そして制作に入る。制作は動機づけの中では第二段階の行動である。児童は初めてのことをするので、当然何かしら失敗するであろう。うまく行かない時、どのように対処するかは「やる気」に関わってくる。ここでは教師が対処法を提案するなどのフォローが重要になると推測される。できるだけ欲求不満を阻止するために、完成までの妨げになっている原因を探らせ、合理的に対処する。例えば、工作が得意な児童に協力してもらう、どうやったらうまくいくか聞く、といった対処である。もちろん全て実行するのは児童自身であるから、これらの行動によって、欲求不満耐性もつくであろう。
 最後に、時間をかけて完成させた作品に自己評価をさせる。評価をすることによって、バンデュラ(1977)のが示した、人が自分の行動をコントロールするために必要な行動である自己調整モデル(遂行行動→判断過程→自己反応)が完成する。これは今後の自身の行動をコントロールすることに役立つと考えるからである。図工の評価には標準的基準がなく、採点基準はほぼ自身の満足度であろう。しかし、この課題の場合、教師の評価の重点は「やり遂げたこと」である。教師はまず「やり遂げたこと」を全員に誉める。これが動機づけの最終段階である。誉めることは言語的報酬であり、達成することが良いことであるという情報的機能にもなるからだ。個々の最終評価では、決して作品を否定せず児童が不満を持つ箇所の原因を明確にすることによって、「どうすればうまくいったのか」を自ら考えさせることにより、次回の学習への意欲を増幅させることができると考えた。

 参考文献
・やさしい教育心理学 1999年 鎌原雅彦・竹綱誠一郎 有斐閣
・子どものこころ 2003年 桜井茂男・濱口佳和・向井隆代 有斐閣
・子どもの気持ちがわかる本 1999年 吉岡たすく PHP研究所

・行動と学習の心理学 2005年 伊藤正人 昭和堂 


添削文には、まずレポートに箇条書きは使わないこと。あと、結論を最後に述べること、について注意がありました。

たしかにうっかりでした。
他のレポートでこれからは気をつけます。

教師論レポート!

今週は月曜日からずっと東京にいます。
夏期スクーリングの「彫塑」の授業で人物頭部の石膏直づけをやってます。
毎日くたくた…

そんな私に嬉しい評価。
教師論、第2課題もAでした!

前回のレポートはベテラン教師のインタビューをまとめたもので、個人情報だらけなので載せませんでしたが、今回は大丈夫なので載せます。

レポートを載せるとけっこう見てくれる人がいるようです。
ちょっと嬉しい…

教育の勉強してると私もなるほど〜と思うことが何度もあるので、何かのお役に立てればと。

「生徒の個性と美術教員の役割について」 塩川友紀

 私たちは生活の中で「個性」という言葉を頻繁に耳にする。美術教育については尚更である。では、教育の中での「個性」はどのような意味を持つのだろうか。明治から昭和に生きた国語学者、折口信夫の言葉を引用する。「教育とは『個性を持って個性を征服すること』いわば、『個性の戦争』である」「教師の個性が、生徒の個性を引き延ばす」「教育者は、生徒の個性を尊重するという名のもとに、実は自分の個性に自身がないのではないか。教育者は影響の強さを競うくらいになるべき」(注1)この3つの文を読むと、教育現場の視点からの「個性」が浮かび上がる。教師が生徒の個性を伸ばすには、教師が個性的になるべきである、と折口信夫は述べている。では具体的に美術教員は何を実行するべきなのか。以下、生徒の「個性」を引き出すために教員がするべきことを、実体験や現在実践されている事例を踏まえて考察していく。

 イタリアのレッジョ・エミリア市は30年程前から行政が芸術を通した幼児教育を行っている世界でも数少ない街である。加え、その教育方法は日本をはじめとする世界各国の教育モデルとして注目されている。レッジョ・エミリア市では教育の最高の目的を「子供のうちに自分の人生をよく形づくっていく能力を鍛えること」「必要な手段と知性と自覚を持って実践させることで養われるもの」(注2)としている。「自覚」とは「自分を知ること」つまり、「個性を知ること」という意味である。レッジョ・エミリア市でも「個性」は重要なものとされている。では、「個性」を引き出すために具体的に何を行っているか。まずは「自由を与える」ことである。子供が調べたり、試したり、間違ったり、訂正する自由を与え、どこで、誰と、好奇心や知性を注ぐのかを自由に選択させる。そして子供は手、視覚、聴覚、材料、形、音や色などの無限の資料へ自分なりの評価を与えることになる。そして理性、思考力、想像力、事物が絶えず関連しており、世界を動かしていると理解するというものである。行政が行っている教育だからこそできる大掛かりなプロジェクトであるが、日本の美術教育に置き換えるとこれらは実現できるのであろうか。私は現在児童造形教室で講師をしているが、それは可能だと思っている。私の関わる造形教室はもともと造形することが好きな児童が集まっているので一概には言えないが、児童たちは選択肢が多い程自由になり、自ら考えているように感じる。レッジョ・エミリア市が行っているように1つの課題に対し、出来るだけ選択肢が多い材料を用意するようにしている。それによって子供たちはそれらの素材をひとつひとつ調べ、試し、失敗し、納得いくものを作ろうとする。もちろん、途中で投げ出してしまう子もいるが、考えた結果だとすればそれは評価に値する。時に低学年の児童が高学年の児童の作品をそっくりに真似することがある。それは単純に憧れからの行為であり、真似をされた児童も悪い気はしないようで、それは上手く成立している。真似をしても全く同じに作ることができないジレンマは、その児童を更に考えさせ、成長させるきっかけとなっている。ここまでは子供たちだけで成長しているように感じるが、同時に教師がするべきことは、時期やリズムを考えてあげることである。「個性」とは子供の成長するスピードも含まれるからである。あまり早尚に設定することなく、しかし貴重な習得の時期は成り行きに任せてはならない。そのためには普段から子供の取り組みを見ていなければならない。ペーパーテストで測れない美術教育ならではの苦悩である。しかし、美術教育でしか味わえない楽しみであるとも言えるだろう。
 ここまではレッジョ・エミリア市の幼児教育、私自身の児童造形教室での経験から「個性」を引き出す方法を考察したが、中学・高校の美術教育ではどうあるべきなのか。まず、児童と生徒の大きな違いは、「個性」の確立の具合である。「個性」が顕著に現れ始めるのは小学校高学年からだと言われている。つまり、中高生はすでに「個性」を持って美術を学ぶことになる。児童向け美術教育から引用できることは、ここでも自由度の高い課題を出すことではないかと思われる。そして、これまで自分が育んで来たセンスを惜しみなく発揮する場として美術の授業があるとすれば、教師はどんな作品であれ、「個性」を引きだすためにまずは誉め、「個性」を認めるべきである。さらに、児童が高学年の児童の真似をしたように、例えば有名な作家の絵画の模写をさせ、「絵を描くことは難しい」と自覚させることも生徒の「個性」を自覚することのきっかけになるであろう。そして最終的には最初に述べた折口信夫の言葉同様、教師が個性的であるべきなのだと思う。何をもって個性的な美術教師なのかは、人それぞれだと思うが、私は外見から個性的でも良いと思っている。そしてもちろん性格や作品からも外見に負けない個性があるべきだ。美術の楽しさ、「個性」の面白さを体現するのもまた、美術教師の役割だと思うからである。

・(注1)新しい国語教育の方針 1925年 折口信夫
・(注2)レッジョ・エミリア市の幼児教育実践記録 子どもたちの100の言葉
2001年 レッジョ・チルドレン 田辺敬子訳


レッジョ・エミリアについては、今働いている造形教室の先生が教えてくださって、そして本とDVDも貸してくれました。
とても興味深いです。
残念ながらもう手に入らない本らしいのですが、図書館などにあるかもしれません。
おすすめです。
でもたまに日本語訳がおかしい感じがしたんだけど、どうなんでしょう。笑

2013/07/05

Japanese animations

私は日本のアニメーション映画が大好き!!

何度も言うなって感じだよね。しつこい。
でも好き。

ちょっと離れると禁断症状が出ます。
今中毒真っ最中!
寝る前に必ず見てしまいます。

私がアニメーション(実写にも)映画に求める条件は!
(偉そうに言うなって感じだけど。笑)
・絵がキレイ(主要キャラの顔も大事!)
・音楽が画期的
・ストーリーが不思議(伏線いっぱい)
・ちょっとの暴力性
・観た後ちょっとの虚無感

というわけで、お涙ちょうだいはいらない。
声優にもこだわりはないです。
動きもそんなに重用視しないかな〜
インディペンデント系のアニメーションだったら動きと効果音がとても大事だと思うけど、長編アニメーションではあまり。
でもあまりにカチカチだと嫌気さすけどね。

この条件をぴったり満たしてくれるのは今敏監督。
亡くなってしまったのが本当に悔やまれます…。


あとはベタに押井守、大友克洋ですね。うむ。