2013/06/26

日本美術史

今週末は日本美術史と西洋美術史の科目試験です。
初めての科目試験で何をしていいかわからずドキドキ…

さっき日本美術史の第2課題の添削結果が出ていて、Aでした!
やったー
日本史は苦手だけど日本美術史は大好きです。

今回は浮世絵の課題で、勉強するのも楽しくて、自分でもよく書けたレポートだと思うので、載せます。
国芳は超おもしろいです。

江戸時代の個性派浮世絵師、歌川国芳について」塩川友紀

 日本絵画の代表としてあげられる浮世絵には多くの主題があり、技法、用途も様々であったが、最大の目的は民衆のための娯楽であり、日本で最初の大衆向け芸術である。江戸時代は封建制度が最も完成した(と同時に崩壊をきたしていた)時代であり、町人文化が発達し、浮世絵は江戸だけでなく全国に広まっていった。浮世絵は京大阪で流行していた小説や浄瑠璃の木版技術を使い、遊里吉原を舞台とした歓楽の風俗版画から始まった。1730年頃までは丹絵、紅絵、漆絵と呼ばれる一色摺りに手色彩を施すものが主であったが、浮世絵の需要とともに技術も発達し、1748年から紅摺絵と呼ばれる紅と緑の2色摺りが使われた。そして1765年に浮世絵師、鈴木春信が多色摺版画の錦絵を創始し、これが主流となる。このような版画に対し、肉筆画は版画で名声を得た絵師が裕福な町人からの注文に応じて筆をとったもので、安値ではなかった。版画は町人に安値で売るための大量生産の技術であった。当時の民衆が気軽に手に入れることの出来る芸術として広まった浮世絵だが、その美しさは決して価値の低いものではない。現実の人間をテーマにし、その美は画面上に独特の形式でまとめられている。19世紀に海外へ渡った浮世絵は西洋絵画に大きな刺激を与えた。260年以上続いた江戸時代は、数多くの浮世絵師が誕生した。私はその中で最も奇想天外で技術の幅も広いと思われる歌川国芳に注目した。以下、江戸時代の個性派浮世絵師歌川国芳について述べる。

 歌川国芳は1793年、江戸日本橋(現・東京都中央区)の染物屋に生まれ、15歳で初代歌川豊国の門へ入る。兄弟子である国貞は名声を上げていくが、国芳はヒット作を出せず伸び悩んでいた。1827年頃、中国の歴史小説『水滸伝』の登場人物たちを描いた武者絵で国芳は一躍有名になり、「武者絵の国芳」として名声を高めた。国芳が描いた『水滸伝豪快百八人之一人』シリーズは、大判三枚続のワイドな画面を生かし、事物の方向を持つ力感と運動感が有機的な呼応を持つ躍動感が特徴である。また他の絵師の武者絵とは違い、物語に登場する豪快たちを一人一人別々に描いている。以後国芳は、美人画、役者絵、肉筆画などを描き、広い創作活動を行った。国芳の弟子が残した記録から、国芳は典型的な江戸っ子で、遊び心とユーモアのある人物だったと伝えられている。そして無類の猫好きであり、国芳塾では猫をたくさん飼っており、国芳の懐には常に子猫が数匹いたとも伝えられている。そのような気質が発揮されているのが、得意分野であった戯画である。猫好きの国芳は、猫をモチーフとした戯画を数多く残している。歌川広重が東海道を描いた『東海道五十三次之内』はあまりにも有名だが、国芳はその53の宿場と猫の世界を駄洒落で引っ掛けた
『其のまま地口猫飼好五十三疋』を描いた。この作品を見ただけでも、国芳のウィットとユーモアのセンス、そして猫に対する観察力がわかる。その他『猫のあて字』シリーズや『猫の忠臣蔵』など、国芳の猫への愛情は江戸時代の人々だけでなく現代の猫好きたちにも愛される作品を生み出した。国芳の戯画の面白さは猫だけではない。天保の改革(1830~43年)によって、役者絵、遊女、芸者風俗の絵は禁止され、浮世絵の出版界は大打撃を受けた。しかし国芳は厳しい検閲を逆手に取って傑作を生み出した。『似たか金魚』『魚の心』において魚を擬人化することで役者たちを描いたのだ。それ以外にも国芳は様々な動物を擬人化し、人々を楽しませた。『道外化粧のたわむれ』『つくものけん』に見られるように時には器物までも人として扱われた。『みかけハこハいがとんだいい人だ』では、複数の人間がパズルのように重なり大きな人面を作り、『其面影程能写絵』は影絵のようなだまし絵で、これらは現代のような娯楽が少なかったであろう江戸時代の人々を多いに楽しませただろう。他にも嵌め絵、壁の落書き風の線描など、アイデアは尽きなかった。国芳はまた、葛飾北斎や歌川広重とは別のシュールでエキゾチックな風景画も描いた。当時の浮世絵師たちは長崎の出島から流通していたオランダ銅版画からヨーロッパの遠近法、陰影法を東洋画と融合させる試みをしていた。その点においては国芳も例外ではなく、西洋の資料を積極的に活用していたようで、風景画においてその影響が見られる。『忠臣蔵十一段目夜討之図』は、浮世絵ではあまり見られない遠近法の効いた幾何学的な描写、モノトーンを基調とした画面から、独特の冷たさを感じる。これはニューホフの『東西海陸紀行 STATS MEETERS EN KONSTENARS WONINGEN』が原図であると明らかになった。原図は南国の風景であるが、コントラストの効いた影を雪上がりの満月の夜に置き換えている。このように国芳は、ダイナミックな北斎、情緒的な広重とは一線を画す、近代的アングルの風景画を誕生させた。

 2011年から2012年にかけて開催された『歌川国芳展』において私は国芳の多彩さを改めて感じ、このテーマに決めた。国芳の大胆な構図や溢れるウィットとユーモアはデザインを学ぶ者として大変興味深い。現代にも十分通じるそのアイデアはこれからの日本を生きる人々が見ても決して飽きることはないであろう。



参考文献
『没後一五〇年 歌川国芳展 図録』 岩切友里子 監修 2011年 日本経済新聞社
『江戸の浮世絵』 高橋誠一郎 著 1964年 平凡社
『ねこと国芳』 金子久信 著 2012年 パイインターナショナル
『浮世絵ことば案内』 田辺晶子 著 2005年 小学館
『カラー版 徹底図解 浮世絵』 田辺晶子 監修 2011年 新星出版者

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