2010/09/01

枠外の悲しみ

今日は、おじいちゃんの入院手続きをお手伝いした後、自動車学校行って、最後の効果測定を受けた後、西武の地下でお弁当買って、図書館のランチルームで食べて、3階の映像コーナーで『麦秋』を観ました。

これで、小津安二郎+原節子(+笠智衆)による「紀子」3部作制覇です。
(『晩春』『麦秋』『東京物語』の3作)

いろいろ文献を読んだ後観るとストーリー以外のところに目がいっちゃいます。
そもそも、小津・野田組の『麦秋』の脚本には、ストーリーはないそうです。
枠外の余白を観客に楽しませる、という意図があるらしい。

小津さんお得意の「家族の崩壊」を描いております。
崩壊、といってもなにも誰かが死ぬわけではなく、端から見れば一番幸せな「結婚」で家族はバラバラになるのです。
だから原節子演じる紀子は28になってもお嫁に行かなかったのですね。

これも評論家の言葉を借りてしまうのだけど、小津映画には「涙のない悲しみ」があります。
誰かが難病で苦しんで死ぬ、交通事故で突然死ぬ、などのドラマティックな死は一切なく、淡々とすぎる日常の中で、「結婚」やら「転勤」やらの転機が訪れた時の家族がばらばらになる、悲しみを感じる映画です。
それは、登場人物が気持ちが高ぶって泣いたりすることはなくて、ただその物語の延長線上にある悲しみを観客に想像させて観客が悲しむ仕組みになっています。

私はその「枠外の悲しみ」の表現がすごく好きです。

思えば、私が大学時代に作ったり、表現しようと求めていたものは、まさしくこの「枠外の悲しみ」だったんじゃないかと思いました。

「夕暮れ製造機」にしろ、「さいごのゆうひ」にしろ、直接見る人に悲しさを押し付けてるつもりはありませんでした。
ただ、絵を見て、想像してほしかったからね。
だから今頃になって小津安二郎を知って、こんなにもハマってしまったんじゃないかと思います。


このシーンは固定カメラしか使わなかった小津安二郎が唯一クレーンカメラを使った珍しいシーンです!

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